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[1238] 映画と原作小説 「ある一生」3 投稿者:重三郎 投稿日:2025/05/27(Tue) 14:26  

このあたりの描写は原作小説を読む醍醐味だと思う。
大農業主はたんに老いさらばえたのではなかった。
神の名において少年エッガーをムチ打った男が、神にはあらず、大きな歴史≠ゥら逆襲されていたのだ。
かつての「神様」に対して、「この豚野郎」とまで毒づいて。
映画では、後年エッガーが山岳ガイドをしていたあたりは十分には描かれていなかった気がする。
観光客たちのなかには、愚かしい振る舞いに及ぶ者は少なくなかった。
が、エッガーは知っていた。
遅くとも2時間かけて山を登ったあとには、彼らの傲慢な態度も、熱い頭にかいた汗とともに蒸発してしまうことを。
そして最後には、なんとか目的地にたどり着いたことに対する感謝の念と、骨まで沁み通った疲労感のほかにはなにも残らないことを。
この観光客の振る舞いやエッガーの心境は、映画で伝わってきただろうか。
これは映画をもう一度観なければわからない。
映画から小説へ、そしてまた映画へ。
逆に、小説から映画へ、また小説へと往復しなければ、深くは読みとれない。
観光客たちのおしゃべりやころころ変わる気分に、年々耐えられなくなり、
山岳ガイドをやめ、何十年も前から使われていない家畜小屋へ移ってひとりきりの生活を始めた。
話し相手がいないので、自分自身か、周りの物と話した。
ここからは小説の独壇場である。
先立たれた妻マリーのことを頻繁に考えるようになった。
過去のこと、そして、ありえたかもしれない未来のことを。
一部の村人から、完全に狂ったとみなされるようになった。
正確な出生記録がないのだが、小説の設定では79歳ぐらいになった最晩年、エッガーは述懐する。
頭の上には屋根があり、自分のベッドで眠ることができる。
小さな腰掛に座れば、いつまででも景色を眺めていられる。
生きた。
愛を得て、その愛を失った。
そしてなんとかここまで無事に生きてきた。
自分でも思いもしなかったほど長生きしたし、概ね満足のいく人生だった。
自分で知る限りではこれといった罪を犯さず、酒、女、美食といったこの世の誘惑にも溺れることはなかった。
神を信じる必要には一度も迫られず、死を恐れてもいなかった。
自分がどこから来たのかは覚えていないし、自分が最終的にどこへ行くのかもわからない。
だが、そのあいだの時間を、自分のこの一生を、エッガーは悔いなくふりかえることができた。
エッガーは自分の小屋のテーブルの前で死んだ。
吹きさらしのなかでもなく、頭上に星空をいだきながらでもなく。生涯でひとり愛したマリーの傍らに葬られた。
墓穴の上には、荒削りでひびだらけの石灰石が置かれている。
夏にはその石の上に、薄紫のウンランカズラが育つ。
映画と小説で、他国の見知らぬ人の生涯をたどり、ひとの一生を考えることができた。
ちいさい私もエッガーのように、こんなふうにふりかえる境地に至りたい。

   自分はどこからきて
   どこにいくのかわからない
   人間の愚かさ、汚さをみてきた
   はずかしいことがいっぱいあった しかし
   自分の人生はだいたいにおいて悪くなかった


[1237] 映画と原作小説 「ある一生」2 投稿者:重三郎 投稿日:2025/05/27(Tue) 14:23  

一度目の召集ではビッコゆえ、相手にされず。
二度目の召集で就いたコーカサスでの兵役は、それまでのロープウェイ架設と同じ、森林限界をこえた岩壁に張り付く作業だった。
それは孤独と寒さとのたたかいの日々だった。
エッガーは歴史のヒーローではない。
ものごとの意味を考えたりしない、命令をただ実行するーそれだけだった。
生涯を通じた、この黙々とした生き方がかれの命を支えたのかもしれない。
ソ連兵に捕らえられた後の、8年以上の捕虜収容所での強制労働ー伐木、石積み、ジャガイモの収穫、
死んだ男たちの埋葬ーは、小説でも詳しくは描かれていなかった。
作家の思いが捕虜たちの口を借りて表現されていたところに注目した。あたかも箴言のような。
ー どうせ地獄へ向かうのなら、悪魔と一緒に笑うしかないさ
(ロシア警備兵の熱狂から、ヒトラーの終わりらしいことに気づいて)
ー ヒトラーは終わりなのかもしれない。
でも、頭のおかしいやつの後ろには、いつもまた別の、もっと頭のおかしいやつが控えているもので、
なにもかもがまた最初から始まるのは時間の問題にすぎない。
帰還。
義妹の当時でいう私生児、エッガーを預かって、奴隷のような扱いをした大農場主クランツシュトッカーが年老いて、
エッガーに向かって、俺を殴り殺してくれ、という場面があった。
小説では、この大農場主はふたりの息子をおそらく戦争で失っていた。
ー 俺はな、一生のあいだ、・・・神様以外の誰の前にも、身を屈めたことはなかった。
ところが、それに神様がどんな礼をしてくれた? 
ふたりの息子を奪ったんだ。俺自身の血と肉を、この体から奪ったんだ。
おまけにこの豚野郎、それだけじゃまだ足りないと来た。
こんなよぼよぼの百姓の体から、命の最後の一滴をまだ搾り取らないで、
毎日のように朝早くから夜遅くまで、こうやって俺を農場の前に座らせて、死ぬのを待たせてやがる。


[1236] 映画と原作小説 「ある一生」1 投稿者:重三郎 投稿日:2025/05/27(Tue) 14:19  

好評につき(はっは!)映画と原作小説 つづき
映画未見の方は終幕まで書いていますので、ご注意ください。

映画「ある一生」をみた。
ふだんわれわれは、アルプスの山々を映像や写真で見る、あるいは足を運んだ人もいるだろう。
そしてあこがれ、絶景に感動する。
しかしその陰・歴史にどんな人々の労働があり、生活があったのかはほとんど意識の外ではないだろうか。
この映画はそれを実感させてくれる。
ことに主人公エッガーの労働の姿はこのうえなく美しい。
全天青空を背景に、自分のからだよりはるかに大きな草の束を背負う。
背中から真円を描いて槌をふりおろす。
都会育ちかどうか知らないが、一般に俳優があそこまで肉体を鍛えるのは容易じゃない。
監督が語っている。
「俳優は才能が10%、残りの90%は努力だと私は思っています。
(エッガーを演じた)シュテファンはまさに何もないところから自分の努力によって、妥協せずにエッガーを作り上げてくれました。」
あの汗、労働の美しさは小説では描ききれない。
また厳しくも美しいあの労働をみれば、ただ美しいだけの風景も意味を帯びてくる。
一方、人の一生を2時間足らずで表現するのは至難の技。
ところどころ、あの場面の背景にはどんな事情があったのか、
ソ連抑留の実際はどうだったのか、
そして、主人公の最後に行き着いた境地はどう小説では描かれているのか,
これらを知りたくて原作小説、ローベルト・ゼッターラーの『ある一生』を読んだ。



[1235] 佐々木麟太郎 投稿者:映画ファン 投稿日:2025/05/27(Tue) 08:44  

日本の大学や社会人、プロを経ずに
アメリカの大学に進学してメジャーを目指す選択をした
花巻東高の佐々木麟太郎。
少しずつ試合にも出ているというニュースが伝わってきている。
そんなニュースを見ていたら
彼の父親は花巻東高の監督だという。
東高の監督といったら、あの山崎エマ監督のドキュメンタリー「甲子園フィール・オブ・ドリームス」に出ていたなあ
と思って調べたら、やっぱりあの監督さんの名字も佐々木。
あの監督さんの息子さんなんだと思った次第。
今大学生だから、あの映画の当時は何歳くらいだったのだろう。
思わぬところから映画と現実が繋がって、感慨深い。
どうか活躍してメジャーリーガーになってもらいたい。
仮に野球で成功しなくても、アメリカの大学で学んだものを生かして
違う世界でも成功してほしい。
大谷翔平とは別の、ある意味でも“二刀流”かも。


[1234] 9月例会作品決定! 投稿者:事務局 投稿日:2025/05/27(Tue) 08:27  

9月例会の作品が決まりました。

9月14日(日) 徳島市シビックセンターさくらホール
「TATAMI」(アメリカ=ジョージア 1時間43分)

「SKIN 短編」で第91回アカデミー短編実写映画賞を受賞したイスラエル出身の映画監督ガイ・ナッティブと、
「聖地には蜘蛛が巣を張る」で第75回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞した
イラン出身の俳優ザーラ・アミールが共同でメガホンをとり、
実話をベースに描いた社会派ドラマ。
スポーツ界への政治介入や中東の複雑な情勢、イラン社会における女性への抑圧を背景に、
アスリートたちの不屈の戦いを描いた。
ジョージアの首都トビリシで女子世界柔道選手権が開催されている。
イラン代表選手のレイラ・ホセイニとコーチのマルヤム・ガンバリは、順調に勝ち進んでいたが、
金メダルを目前に、政府から敵対国であるイスラエルとの対戦を避けるため棄権を命じられる。
自分自身と人質に取られた家族にも危険が及ぶなか、
政府に従い怪我を装って棄権するか、それとも自由と尊厳のために戦い続けるか、
人生最大の決断を迫られる。

ufoTABLECINEMAで上映済みで、観られた方からは
「面白かった」「もう一度みたい」
と高い評価を得ています。
乞うご期待。


[1233] 映画と原作 投稿者:映画ファン 投稿日:2025/05/26(Mon) 08:42  

映画と原作小説、興味深いテーマですね。
ほとんどの映画は原作(小説。最近はマンガが多い)がある。
たわいない大衆小説が、とんでもない芸術作品に変身することも。
あるいは純文学作品が、登場人物を人気俳優に置きかえただけの平凡な映画になってしまうことも。
成瀬巳喜男は、多くの林芙美子作品を映画化しています。
多くの石坂洋次郎作品が、吉永小百合主演で映画化されました。
島崎藤村の「破戒」は木下恵介も市川崑も映画化しています。
どちらも、それぞれの監督の味わいが出ていたと思います。
同じ原作でも監督によって違う作品になるような気もします。
黒澤明によるドストエフスキーの「白痴」の映画化というのもあります。
あまりの長さに会社から「切れ」と言われて
「それなら縦に切れ」と言ったのは有名な話。
僕は未見ですが、ズタズタに切られたために話の通じない作品になってしまったとか。
今はディレクターズカット版というのもあるから
そのときにフィルムを保存しておいたら完全版ができたのにと悔やまれます。
実はすごい傑作だったという噂もあります。
テレビの話になりますが、ずっと前にNHKで吉村昭原作の「桜田門外の変」というドラマを見たことがあります。
桜田門外で井伊直弼を暗殺した水戸浪士が、
その後水戸藩からも、保護してくれると約束のあった某藩からも裏切られ
落ち延びていくという悲劇を描いたもので
確か川谷拓三が熱演して、すごく面白かったのを憶えています。
僕はその後興味を持って、吉村氏の原作本(厚さが7〜8pはあった)を読んで
これまた面白くて夢中になって読んだ記憶があります。
ドラマは時間の枠がありますから、本の内容をはしょったりして作品化しなければなりませんが
本はいくらでも詳しくできて、だから面白いというのがあります。
テレビでも連続ドラマにしたら原作の面白さが生かせるという長所があると思います。
(NHKの大河ドラマなんて、その究極です)
だから映画には映画の決まった時間にテーマを詰め込むという面白さが
小説や連続ドラマは、内容をより詳しく描けるという面白さがあると思います。
とりとめのない話を書いてしまいました。
でも、好きな小説が映画化されたら、どんな作品になったのかなと気になって観たくなるものです。
観て、感動を新たにできたり、あるいはがっかりしたり。
映画を観る楽しみは、いつまでも尽きないですね。


[1232] 映画と原作小説 ー「日の名残り」 松本清張のことば 「羅生門」 投稿者:重三郎 投稿日:2025/05/22(Thu) 20:21  

映画と原作小説 ー「日の名残り」 松本清張のことば 「羅生門」 

数十年前に篠原先生に、「原作小説の方がその映画化作品よりいいと思う」と言ったところ、
先生が静かに、「どちらもいいところがある」と語ってくれたことがあります。
いまようやく、先生がおっしゃったことが少しはわかるようになりました。
今年観て読んだのでは「日の名残り」と「ある一生」
カズオ・イシグロの原作は、古き良き時代への賛歌かと思われるぐらいにていねいな、
それこそ映画のような描写のうちに、紳士階級とその侍従の世界と社会との隔絶・時代錯誤がよりはっきり出ています。
映画の方は、いわば世間との隔絶、人の一生の哀しさが小説同様、描かれているのですが、
侍従長と女中頭の交わることなく終わりを迎えた人生の哀しさがより前面に出ていているように感じます。
終わり方は映画の方が好きです。
「ボクの原作をこえた映画」として、松本清張は「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「砂の器」「張込み」の3本をあげていました。
このうち、あとの2本は原作を読み、映画をみて、そうだろうなと実感しています。
(TVドラマでは、和田勉演出のNHK「天城越え」は原作をこえていると思いました。)
松本清張のこういう発言があります。
「小説の映画化は短編ほど成功するという考え方を、この映画(「証言」)でいよいよ確信した。
脚色家が十分に自己の独創を原作の余白に振るうことができるからである」(松本清張「『黒い画集』を終わって」)
短編と言えば、芥川龍之介の「藪の中」より、黒澤映画「羅生門」の方が圧倒的にいいです。
「いい」というのはおこがましいですから、「好き」だと言い換えます。
清張の先の発言とぴたり当てはまる作品だと思います。

みなさんはどう考えますか?



[1231] 夏の懇親会 投稿者:事務局 投稿日:2025/05/21(Wed) 08:26  

夏の懇親会の予定が決まりました。

7月26日(土) 18:00〜20:00
「さわらぎ」(徳島駅前 一番町)
4800円(6品 飲み放題付き)

夏の予定におつけ加えください。


[1230] ああ、ひめゆりの塔 投稿者:映画ファン 投稿日:2025/05/20(Tue) 08:34  

上映会のお知らせです。

7月12日(土) 徳島市シビックセンターさくらホール
「ああ、ひめゆりの塔」(日活 1968年作品 2時間7分)

今年は昭和100年の年でもあり、あの無謀な日中・アジア太平洋戦争が敗戦に終わってから80年の年になります。
そのことをきっかけに、湖の映画を上映することになりました。
時あたかも「ひめゆりの塔碑の記述は、誤った歴史」との自民党議員の問題発言もありました。
こういう考え方が出てくるような世相のときこそ、この映画を見直すことが必要なのかもしれません。

「ひめゆりの塔」は全部で4回映画化されています。

1953年「ひめゆりの塔」今井正監督 東映
1968年「ああ、ひめゆりの塔」舛田利男監督 日活
1982年「ひめゆりの塔」今井正監督 東宝
1995年「ひめゆりの塔」神山清治郎監督 東宝

今回上映されるのは、その2回目の映画化作品。
当時の日活青春スター総出演。
吉永小百合、浜田光夫、和泉雅子、二谷英明、藤竜也、太田雅子(梶芽衣子)、音無美紀子、和田浩治……などなど。

モノクロ映画です。
ぜひご鑑賞ください。




[1229] 5月例会報告 投稿者:事務局 投稿日:2025/05/19(Mon) 09:43  

3日くらい前から急に蒸し暑くなりました。
そんな中での5月例会。
はじめ冷房が入ったので、寒かったと感じた人もあったようです。
これから9月(ひょっとしたら10月)くらいまでの間は、こういう状態になると思います。
冷房が苦手な方は、はおるものを用意するなど個々で冷房対策をお願いします。

10:30からの回……会員106人 招待4人 入会0人 合計110人
13:10からの回……会員 84人 招待0人 入会3人 合計 87人
15:50からの回……会員 59人 招待1人 入会1人 合計 61人
18:30からの回……会員 19人 招待0人 入会0人 合計 19人

合計277人の参加でした。

ブータンでの選挙というものの初体験。
それをテーマに、ゆったりとしたペースで
飄々としたユーモアで、日々慌ただしく生活する私たちに
本当に大切なものを思い起こさせてくれるような映画で、大変好評でした。
来月は6/1(日)が特別例会
6/22(日)が通常例会と2本の映画が楽しめます。
どうぞたくさん参加してくれますよう願っています。
会員減少はなかなかとどまりませんが、ともかくいけるところまで、いい映画を楽しみたいと考えております。
よろしくお願いいたします。


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